小説 あなたの本当の宝とは?
猫山市議選が突きつける現実

人間に絶望しつつも希望を見出そうとする者に捧げる

  はじめに

この本を手に取りページをめくって頂き、感謝します。 

この物語は、フィクションです。そして、登場人物のモデルとなる人は、実在しません。

しかし、ここで語られることは、日本の各地で現実に起こっています。

それは、危険な兆候です。

大げさに聞こえるかもしれませんが、戦争が近づく足音です。

私たちの意識が、そして生き方が、戦争の土壌をつくりだし、呼び込んでいるのです。

私は、それをある体験を通して実感しています。

私は祈っています。

私たちとこれから生まれる子供たちが戦争に巻き込まれないことを。

この物語を、多くの方にご一読頂くことが、平和継続の小さな手段であると信じております。

また、読み物としての面白さも追求しています。では、お楽しみください。

                            令和元年 五月二〇日   関  政幸

                    

 はじめに(3)  あらすじ(4)  目次(5)                                 

第1章 キャットタウンへの扉 (7)

1小さな街の小さな異変 2山崎陽一とは何者か?

3沈みゆく猫山市

第2章 山崎陽一との対話    (16)

1カントリー・ジェントルマン  2怒り爆発  3議会の実態  

4組織崩壊の方程式 5議員たちの弁明  

6病根の地区すいせん 7空気に動かされる街 

8犬川市の天才政治家 9楽園の消滅 ⒑驕(おご)りは必要? 

⒒家族を大切にすると豊かになる? ⒓私の迷いの始まり

 

第3章 世間しらず政治活動記 (44)

1夫婦パワー  2山崎陽一の政策 

3一般市民による政策立案チーム 4黒い利権の抵抗 

5出馬表明を阻む壁  6奥さんからの視点

第4章 「あなたが宝」届かず (68)

1桜咲く街を駆け抜けて  2トップ、後ろから 

3戦ったものの大きさ 4山崎陽一との再会

第5章 あなたの本当の宝は何? (85)

1法源聖人 2予言されていた末人(まつじん)  

3 AIファシズムと戦争の足音 4ユートピアの結末 

5それぞれの道 6旅たちの手紙 

おわりに (100)

                           (編集協力 住吉克明)

第1章 キャットタウンへの扉

1 小さな街の小さな異変

私たちの大学の政治研究ゼミナールは、平成最後の年に行われた統一地方選挙の当選予想をした。その対象は、大学のある丸元市と、その近隣一〇市。その方法は、候補者の経歴や政策などを比較して。

 四月二一日、選挙が終わり、だいたい私たちの予想は当たった。しかし、唯一、大外れの市議会議員選挙があった。それは、猫山市。トップ当選と見込んだ候補者が、最下位の落選。一五人の定員のうち、一六人が出馬して、山崎陽一という実業家で、四九才の新人が落ちた。

 大学四年生の私、菊原彩世は興味を覚えた。そこで、同じゼミのメンバーで、猫山市から通う川端育也君を誘い、調査することにした。

 育也君はイケメン。成績はトップクラスだけれど、大学のカリキュラムに物足りなさを感じていると、こぼしている。ルックスは、すらりと背が高く細面で知的。周囲の女子から注目を浴びているけれど、本人はそれに迷惑しているみたいだ。ちなみに、私のタイプではない。

 話を戻すと、この件をゼミの教授に相談したら、こんな言葉を頂いた。

「いいところに目をつけたね。社会の変化は、辺境な地方から起こるよ。地方新聞の異質な出来事に注意すべきだよ。そこに社会の未来の種があるよ」

 教授の言葉に押されて、私は、この調査にワクワクした。

 さて、私たちの大学のある市は、人口三〇万人。私は、生まれも育ちも、この丸元市。猫山市は、そこから峠を一つ隔てて、電車で四〇分ほど離れている。盆地の人口五万人の小さな都市。育也君は、その猫山市に生まれ育ち、電車で大学まで通っている。育也君は、政治学科なのだけれど、哲学とか文学の方に興味があり、読書好きだ。

「育也君、今回の猫山市の選挙をどう見た?」と、私はたずねた。

「そもそも、一般の人は、議会に何も期待していないし、興味もない。全国的にも頻繁に地方議員の不祥事の事件が起こり、地方議員は日本で最もイメージの悪い職業の一つだからね。

 市民の無関心を示すように猫山市長選挙はなかった。現職市長の獅子谷孝子氏に対抗馬が出なかったため、無投票当選だった。二期目で二回目の無投票当選。獅子谷孝子市長は、圧倒的な後援会組織を構築しており、他の新人候補者が手を出せない状態だった。

 猫山市議選では、獅子谷孝子政権の在り方に異議を申し立てたのは、山崎陽一ただ一人だった。猫山市民は、その山崎陽一を落としたよ。噂ではアンチ山崎陽一キャンペーンを影で行って」

「でも変だと思わない? 市民が自分たちの意志で、議会を無力化して、専制的な政治を歓迎しているように見えるけど」

 そう私は、率直な感想を言い、育也君に、こんなお願いをした。

「山崎陽一っていう人に会いたいけれど、何かつてはある?」

「その人なら、話したことはないけれど、ぼくの近所でよく見かけるよ」

「どんな人かな?」

「中肉中背のひょうひょうとして親しみやすいオジサン。政治家というより学者のようだね。小さな子供とよく歩いたり、遊んだりしているよ。近所の人の噂だと、自分の子供の保育園の送り迎えは、ほぼ山崎陽一がやっているようだよ。近所では子煩悩で評判。夫婦仲もいいらしい。何しろ、夫婦円満についての本を出して、そのセミナーの講師もやっている。

 母親が聞いた噂では、お酒も飲まないし、夜の酒場にも顔を出すことはないので、付き合いは悪いらしい。会社を経営している割に、いつも古い軽自動車に乗って、金持ちそうには見えない。ケチかもしれないということだよ」

 育也君の話を聞いて、ますます、山崎陽一に興味が出てきた。

「育也君、この人がどうして落選したのかをテーマに、ゼミで研究発表をしましょう。山崎陽一に問題があるのか? 山崎陽一を落とす猫山市に何かがあるのか? 私の勘では、ここが分かると、日本社会の本質が見えてくるわ」

「彩世さん、それは分かるけど、落選した人に取材するのは、気が引けるな」

「私の勘では、山崎陽一は快く引き受けてくれるわ」

 実は、今年の二月頃、山崎陽一の街頭演説をチラッと聞いたことがあった。用事で猫山市の駅から出た時、トレンチコートを着て一人で演説している男を見て、耳を傾けてみた。その言葉が心にひっかかった。

「私たちの問題の根源は、孤独にあるのではないでしょうか? 私たちにゆとりをもたらすはずの機械やコンピュータは、私たちをコントロールし始めた。私たちの生活から、ゆとりは逆に消えた。私たちを賢くするはずの知識は、私たちを冷たくし、人と人とのつながりを分断した。私たちは迷子になってしまったのか?」

 私は、男の前のパイプ椅子の上に置いてあったチラシをもらってきた。

 そういうことで、私と育也君のチームは、山崎陽一と猫山市議会選挙をテーマに研究することになった。

 私は既に、地元の銀行に就職が決まっており、卒業までの私の最大の問題は、ゼミの担当教授に卒業論文を出すだけだった。このテーマは打ってつけに思えた。

 ちなみに、育也君も猫山市に本社がある大企業に就職が決まっていた。

 2 山崎陽一とは何者か?

 育也君に山崎陽一にアポイントを取り付けてもらうことにした。思いのほか、それは簡単に実現した。

 山崎陽一とその子供が出没する公園へ行き、育也君はすぐに会えた。そして声をかけ、それとなく大学のゼミの研究テーマにしたいと持ち掛けたら、即答で了解してくれたという。

「あの山崎陽一というオジサン、選挙に落ちて、一週間も経っていないというのに、全然、落ち込んでいなかったよ。むしろ、イキイキしていたよ。どういう神経かな。あと、思ったのは、平日の午後四時ごろに、子供と遊んでいる大人ってあんまりいないよね。なんか自由な時間の使い方ができていいな」

 どうやら、育也君も、山崎陽一に興味を持ち始めたようだった。

         ◇

 平成三一年四月も終わる頃、山崎陽一に会うために育也君と猫山市に向かった。山々が新緑に染まり始めていた。電車の中で、山崎陽一の情報をタブレットで読み直した。

「山崎陽一は、育也君と同じ、猫山市生まれで、箱根駅伝によく出る東京の大学の法学部卒。新聞記者を経験した後、二七才で、自営で事業を始めた。保険代理店を皮切りに、いくつも事業を起こしている。今は二つの会社の社長。ボランティア団体を夫婦で運営して一〇年も経っている。かつて、三一才で、NPO法人を立ち上げて、しばらく理事長もしたことがある。本も何冊か出して、さらに、セミナーや講演の講師としても実績がある」

「これだけでも、他の候補者に引けを取らない、それどころか群を抜いている。しかも、候補者の一六人中、最年少。ただ、遅く結婚したため、PTA活動や地区の役はやっていない」

 そんな話をしているうちに、電車はトンネルを抜け、猫山市が一望できるロケーションに入った。周囲を三六〇度山に囲まれたシルクハットの底にあるような小さな街。その中央に猫川という川が流れている。その河原で、毎年お盆になると有名な花火祭りがある。私が猫山市を訪れるのは、年に二、三回程度。

 3 沈みゆく猫山市

「ねえ、育也君にとって、猫山市はどんな街?」

「彩世さんの住む丸元市みたいに活気はないし、かといって自然豊かな田舎ってわけでもない。あと温泉が出て、各所に公衆浴場があって、少なくなったけど、市内で温泉がパイプで配給されている家も何百件かあるね」

「贅沢ね」

「贅沢といえば、一〇年前から、夏になると、毎日花火を一五分間上げる。最初は、街の人もありがたがっていたけど、今じゃ、それをうるさいと思っている人もいる。花火も温泉も、たまにあるから、有難い。そう、この猫山市は、この温泉と花火に眠りこけている。

 その証拠に、人口がドンドン減っている。子供の減少に加えて、隣の犬川市に人口が流れている。三〇年前の猫山市の人口は六万人だった。今や五万人。減った一万人は、そっくりそのまま犬川市に移った。今、犬川市の人口は六万人」

 育也君は、そう言って、車窓の外に目をやり、話を続けた。

「本当は東京の大学へ行きたかったよ。地元の大学だと、親が喜んでね。

 最近、この地方に未来が無い気がする。親たちの世代ほど、ぼくらの世代は単純じゃない。地元の大企業に未来があるのか、わからない。地元に産業がなくなって、地方自治体が存続できるかわからない。公務員の身分だって未来を保証してくれない。若い世代や子供が減れば、ビジネスはもちろん自治体だって、成り立っていくのは難しい。

 それでもやっていける仕組みを政治家たちはつくると言っているけど、そんな虫のいい仕組みがあるとは思えないね。ぼくたちにできることは、迫っている問題から目を背けて、見ない振りをすること。

 ただ、山崎陽一というあの男は、何かの答えをもっていそうだよ」

 そして、山崎陽一とのインタビューになった。

 

 

 

第2章 山崎陽一との対話

1 カントリー・ジェントルマン

山崎陽一との会談場所は、彼の自宅の横にある事務所。本棚には、歴史書や哲学書が中心に置かれていた。古代ギリシアやローマ関連の書物が多いように見受けられた。山崎陽一は、ヒジあてをした伝統的な英国式三つぞろいスーツを着ていた。髪を七三にきっちり分けていた。事務所の書棚の感じといい、ブリティッシュスーツ姿といい、本人はカントリー・ジェントルマンを意識しているのだろう。案の定、出されたのも紅茶だった。

「このようなお時間を頂き、ありがとうございます。また今回の結果は非常に残念でした」と、私は切り出した。そして、この取材の目的と経緯を話した。

「ありがとう。投票してくれた人たちには悪いけど、私はそんなに残念だと思っていないよ」と、山崎陽一は、あっけらかんと答えた。

「どうしてですか?」

「確かに、投票結果を知った時、猫山市民にグサリとナイフで心を刺された気がしたよ。その夜、死んだ私の祖父母が夢に出てきた。『落選おめでとう。そんな大変なことは、他の一五人に任せておけばいい。お前はお前の人生を大事にした方がいい。お前はうまく逃れた』と言われた。それで、これは自分にはベストな結果だったと、納得いったよ。

 さらに、自分が思ったほど重要な人物でないことが分かり、生きるのが楽になったよ」

「どういうことですか?」

「お陰様で生きることへの執着が薄まったよ。自分はいつ死んでもいい存在だと思い知ると、これまで背負っていた重荷が肩からおろせる。自由になれた。負けることっていいよ。失敗への恐怖が吹き飛ぶ」

「それで、落選しても全くめげていないのですね」

「選挙に落ちたことは、若い時に経験した失恋の一〇〇分の一程度なものさ。ただ、政策に具体性もなく『お願いします』を繰り返す人たちが認められ、真っ当なことを言う人間が認められない、そんな社会に言いようもない悲しさを感じたことは確かだね。大げさかもしれないけど、イエスやソクラテスの気持ちが少し分かったよ。

 この前ね、鳩が釣り糸に絡まって動けないでいるのを見かけた。私はそれをほどこうとしたが、鳩にさんざん突かれて痛い目にあったよ。人とは、そういうものかもしれないね」

 その笑顔の向こうにあるものを、垣間見た気がした。

 

  2 怒り爆発 

 私は次の質問に移した。

「食物アレルギーのお子さんが小学校に入学する前に、事前に給食対応のお願いに行って、そこが出馬の動機になったということですが」

「そうだね。その時、学校は、基本的に給食では対応できないので、お弁当持参でお願いしますと言ってきた。その後に、市の子供課は、私たちの要望を阻止するように、学校給食のアレルギー対応のルールを作った。そして、ルールですから、それに従ってくださいという。そのルールだけれど、どんなメンバーが集まって、話し合われたかなども記載していない。民主的なルール作りの形跡がない。今の市長が、無投票で当選した時、『日本一透明性が高い市を目指して』と言っていたけどね。私たち夫婦は、それに憤った」

「聞いているだけで腹が立ちますね」と、私は感じたままを言った。

「そこで、狐沢ヒロコという女性議員に相談に行った。選挙時の政策には、『子供の応援、母親が働き輝ける社会へ』と書いてあった。

 狐沢さんに要件を伝えると、こんな回答が返ってきた。

『私ならお弁当を作りますね。学校の先生は大変です。そんな負担はかけてはいけません』

 それから、延々と、市職員はどれほど大変で、素晴らしい仕事をしているかを、私たち夫婦に言い聞かせた。私はこれに激怒した。もはや議員の仕事をしていないと、思った。

 それで、議会に注意喚起の陳情を出したよ。要するに、選挙公報に乗せた政策方針と、全く違うことを言っている。最初の方針が変われば、一度辞職して、次の選挙で『公務員保護』を訴えて出馬すればいい。それは、市民を欺くことにならないかと。怒るのも無理ないよ。政治学科の君たちなら、地方議会の本来の機能は分かるよね」

「はい。まずは、行政の監視、次に政策立案、そして、意思決定ですよ」と、育也君は答えた。

「議員が、行政を擁護することは、仕事をしていないことになるよ。五〇〇人にのぼる猫山市役所職員と対峙して、市民の権利を守るのは一五人の議員ではないだろうか? 私たち夫婦は、怒りがおさまらず、いろいろと調査し始めたよ。猫山盆地三市を調べ、比較しようと思った」と言って、山崎陽一は部屋のホワイトボードに向かって書き始めた。

 @学校給食のアレルギー対策の比較

 A議会の行政チェック機能の比較

 B議会の政策立案能力の比較

 書き終えると、山崎陽一は話を始めた。

「@については、点数化すると、猫山市は最低で三〇点。犬川市は最高の一〇〇点。犬川市は食物アレルギー完全対応。実際、夫婦で犬川市の子供課に行くと、感動的な対応だった。職員は言ったよ。『私たち犬川市では、子供はあなたたちの子供ですが、地域全体のかけがえのない子でもあるのです。そう考えると、食物アレルギーの完全対応は、当然です』。全く、猫山市と違う。私たち夫婦は、猫山市に家を建ててしまったことを後悔したよ」

「そんなに市によって違うのですね」と、育也君は驚いた様子だった。

 

   3 議会の実態

 山崎陽一は、ホワイトボードを指して続けた。

「行政チェック機能の話をしたい。これも案の定、猫山盆地三市のうち、最低だった。一五人の議員のうち、市長を擁護する議員が一三人。あとの二人は左寄りの産協党。これだけ見ると、猫山市の議会は、市長の追認機関でしかない。犬川市の議会は、五つの会派に分かれ、保守から革新まで、ちゃんと意見が分かれ、議案の掘り下げができるようになっている」

 さらに、山崎陽一は続ける。

「政策立案機能は、さらにお粗末だ。猫山市議会は、四年間に、議員発議の議案は一つ。しかも、それは『乾杯条例』。早い話が、市民が乾杯する時は、市内で作られたお酒で乾杯してくだいというもの」

「なんじゃ、そりゃ」と、育也君はあきれていた。

「この時、市議会が本当に議論し、場合によっては条例を作るべき問題があった。猫川上流に、東京の業者がメガソーラー発電所を作る計画が持ち上がった。計画が実現すれば、山の保水力が低下し、猫山盆地に水害発生の可能性が上昇するという問題があった。この時、議会はノータッチ。市民グループが反対運動を繰り広げ、今、計画が進行している。こういう時に、議会が議論して、市としてのメガソーラー発電事業のルール作りをすべきだった。政策立案とは、まさに議会の腕の見せ所といえる舞台なのに」

 山崎陽一は、さらに続けた。

「ほかの二市は、四年で四つの議員発議を出した。それは、市民ニーズに合った提案だった。猫山市の『乾杯条例』と違って。そもそも、議員って、何か政策があって立候補するものだろ。だから、一五人の議員がいたら、少なくても一五の議員発議があって当然だと思う」

「ぼくも、そこまで猫山市の議会のレベルが低いとは思いませんでした。議員のイメージが変わりました」と、育也君が感想を言った。

「私たち夫婦は、このような定量的な調査だけでは、不十分だと思ったので、定性的な調査も始めた。早い話が、一般の市民から聞き込み調査をした。そこでも猫山市の評判は悪かった。議会だけでなく、役所そのものも」

「どんな風に?」と、育也君は身を乗り出した。最初は、この調査に乗り気ではなかった育也君は、もう私よりも熱心になっているようだった。

 

  4 組織崩壊の方程式

「いろいろな人の意見を聞いたよ」

「集約すると、どんな意見がありましたか?」と、私は尋ねた。

「財界の意見では、長いこと猫山市は、積極性に欠くという。受け身。

例えば、国が助成金を出して、公共施設のバリアフリー化を奨励しても、国へ申請を出さない。

 一方、隣の犬川市は職員が積極的で、すぐに申請書を出して改善していく。通常なら、猫山市のような状態の時、議員が市職員に発破をかけて、職員を動かすものだが、議員にもその気力に欠く。議員と職員に緊張関係がないようだ。仲良しクラブになっている可能性がある。組織の共同体化だ。組織が、自分たちの内部の快適さを求めたら、終わりだ。行政組織は、すべて市民に顔を向けるべきだ。すべての組織は、目的の内部化が始まった時、終わりが始まる。それは、経営者の端くれとして、最も危険なサインだと思っている」

「では、一般市民からはどんな声がありましたか?」と、私は尋ねた。

「発達障害のある子を持つ母親からは、猫山市の学校の対応が悪く、犬川市へ引っ越していくという。あと私が感じるのには、市民が市政に無関心だね。もっとも、最近まで私もその一人だったけどね。

 あと面白い人に偶然会って話を聞いた。前々回の選挙で落選した猪山大介さんの意見。そのままの言葉を借りると、こういうことだよ。

『猫山市は、この近隣市町村に比べ、最低だね。ただ、それを生むのは猫山市民だよ。市民のレベル以上の議会も行政も持てないよ。前回の選挙で唯一、オレはまともなことを言った。それで反発を受け、落ちた。面白い市だよ。真実を言うと、落としにかかる』」

 山崎陽一は、興奮して続けた。

「私はそれについて尋ねた。なぜ、猫山市はそうなったのかと。猪山さんはこう答えた。

『自分たちが、猫山盆地の中心で、抜きんでた強みを持っていると、市民が自負している。いわば、これまでの成功体験が、改革の活力を奪っている。それを失った組織は崩壊に向かう』

 私も猪山さんの洞察は当たっていると思っている。そう、全ての組織の崩壊過程は次のように言える」

 そう言って、山崎陽一はホワイトボードに次のようなフローを書いた。

 

 成功→成功体験へのしがみつき→組織の仲良しクラブ化→組織の崩壊

「これは、あらゆる組織崩壊の方程式だよ」と、山崎陽一は力強く言った。「このフローの具体的な例はありますか?」

「典型的なのは南米だね。正確には第二次大戦以降のアルゼンチンやブラジル、ペルー。それ以前の三国は、非常に豊かな国だった。プランテーション、すなわち大規模農場で大成功していた。そのため、大戦以降、工業化への意欲がなく、あらゆる社会システムの近代化が遅れた。遅れたどころか、既得権を得ていた大規模農場主たちは結託して、近代化を規制するような政策を政治家たちに実行させた。それで、今でもハイパーインフレや国家破綻を何回か起こしている。猫山市も、成功ゆえに、よき変化を妨害する既得権者がいるのさ」と、山崎陽一が言うと、育也君は付け加えた。

「闇の部分ですね。話は戻りますが、他に市政についてどんな意見がありましたか?」

 

  5 議員たちの弁明

「議員たちからも意見を聞いたよ。どう思っているか」

「それは面白いですね」と、育也君が反応した。

「まず、唯一の野党である産協党の議員が、こう言った。

『議員としてやる気のある人は消滅しているよ。選挙の時だけ、市民のためにと言って、議員になると、行政の味方になっている。私たちも、もう何を言っても無駄だと諦めている』

 そして、付け加えた。

『改革にやる気のある新人議員がいても、最初は行政や議会へもの申しているが、やがて無気力になる。当たり障りのない存在になり、多数派に迎合していく。腐ったミカン箱に新しいミカンを入れても、やはり腐るようなもの』

 さらに長老の狸穴光男さんという議長からも話を聞けた。

 彼は、老練な政治家で、猪山さんや産協党の意見を、やんわりと反論した。私も説得されそうになった。

 しかし、彼がストレートに言ったことが一つあった。

『猫山市議会が、保守的な議員で占めているというのは、猫山市民が保守的だということだ。私たちの責任ではない』

 あと、産協党に対しても、こんなことを言っていた。

『あの人たちは、地方には関係のない国政のことばかり取り上げる。消費税の問題とか、憲法九条の問題とかね。市民のニーズとズレがある』」

「ぼくにも疑問が出てきました。議会の機能が低下している原因ですよ。そもそも出馬する人の能力に問題があるのか? それとも、議員の能力を無力化する何かがあるのか? 議員が些末な仕事で忙しくて、本来の仕事ができないのか?」と、育也君が質問した。

「そこだよ。私も、それが知りたくて、自分が議員になり、内部潜入してルポルタージュを書いてみたかった。ただ、私は市議会議員選挙で非公式に発生する地区推薦制というものが、行き過ぎていることが、地方議会を腐らす一因になっていると考えた」

 

  6 病根の地区推薦(すいせん)

「地区推薦? それは何ですか?」と、私は問いかけた。

「ご存じのように市は、いくつかの地区に分かれている。地区ごとに地方議員の候補者を立てて、選挙をすることと言える」

「それのどこがいけないのですか?」

「いろいろ弊害があるよ。議員は、そもそも市全体のことを考えるのが本来だ。けれど、地区の便利屋さんになってしまう。そうすると、地区内の就職や結婚の斡旋に熱を上げて、本来の仕事をしなくなる可能性がある。

 猫山市では、議会の運営費に年間一億円を使っている。一億円をこの程度の地区の些事に使っているのはもったいない。地区には区長がいる。区長がやるような仕事を議員がやっているのでは、税金の無駄づかいだ」

「確かに、そうとも言えるけど、イメージ的にはしっかりした人物が、議員になる可能性が高い気もします」

「そういうメリットも否定はしない。ただ、地区推薦の選抜基準も不明瞭で、噂では金が動いていることもあるという」

「それ犯罪ですよね」

「時おり、『票の取りまとめで二〇万円を渡して、公職選挙法違反で逮捕された』というニュースが流れる。表に出ないだけで、結構あるみたいだ。

 それはともかく、地区推薦が行き過ぎると、議員が多様性を失い、保守だけで占められてしまうことになる。すると、議会の機能が低下して、行政も自らの保身を目的化してしまう。この地区推薦が議会を腐らす根っこだと思った。

 それで、私は行き過ぎた地区推薦を批判して、地区推薦なしで立候補した訳。それがまた、最大の敗因だよ」

「でも、もっともな主張ですよね」

「その正当な主張が、市民の反発を招いたよ。市民は、議会は地区の便利屋でいいと思っているし、議会は無力でいいし、議員は無能の方がいいと思っているようだ」

「そんなことってあるでしょうか?」と、私は首をひねった。

 

  7 空気に動かされる街

「市民一人ひとりは、当然、そうは思わない。しかし、大衆としての意見はそういうことになると思う。獅子谷孝子市長が、それを意図している訳でもない。怖いのは、大衆が勝手に市長を担ぎ上げ、民主主義を放棄している。市長も生きた心地がしないだろうね。大衆という気まぐれなライオンと檻の中で暮らしているようなものだ。ちょっとしたことがキッカケで、食われる」

「どうして、そんなことになるのでしょうか?」と、私は質問した。

「空気という大衆の心の裏側を集約した嵐のようなものが存在して、それがまさに主権者になっている。民主主義というよりは、空気主権と言える。この空気はコントロールが難しい。まず、できないよ。大戦中の日本の最高権力者すら、この空気を制御できなかったからね。

 独裁者も空気にコントロールされた一つの駒なのかもしれない。空気の超克こそ、人類全体の課題だろうね」

 沈黙が起きた。

8 犬川市の天才政治家

 私は、度々、話に出てくる犬川市のことが知りたくて、質問した。

「ところで、ここまでの話だけでは、隣の犬川市は、素晴らしい市政を行っているようですが?」

「知っての通り、猫山市には猫山城があり、江戸時代から猫山盆地の中心だった。犬川地域の人たちは、猫山の武士たちから低く見られていた。農村部の犬川と、町場の猫山という風に。だから、犬川市の人々は、猫山市への反骨精神があった。『猫山の連中には負けねえ』という不文律が、心に刻まれてきた。

 そんな犬川市に、三〇年前、天才的な政治家が市長になった。その名も虎崎清三郎。彼は、改革者の気質を持っていた。団塊の世代の後押しもあって、犬川市政を次々と改革していった。

 その改革の根幹をなすものが『市民と行政のパートナーシップ協定』。これは、市民と行政の関係を、再定義する画期的なものだった」

「再定義? どんなことですか?」と、私は興味をもった。

「ありふれた都市の市民と行政の関係は、顧客と業者の関係に似ている。市民は税金を払う代わりに、行政にサービスを求める。こんな感じ」

「犬川市は?」

「市民の課題は、基本的に市民が解決する。行政はそのサポートをするというもの。あくまでも市政の主役は市民という考え方」

「なるほど画期的ですね。ただ、それにどんな効果があったのですか?」

「町をよくしようとする市民が増えるのさ。市民が市政に関心を持つ。すると優れた議員が出て、ちゃんと議会は本来の仕事を果たす。すると、行政にも緊張が生まれ、行政も市民目線になる」

「犬川市は好循環ができる訳ですね。一方、猫山市は悪循環に陥っている」と、育也君が話をまとめた。

「その結果、犬川市には大学ができて、都会の知的な人が多くなり、観光客は、猫山市を通りすぎて、犬川市に足が向く。猫山市は、花火と温泉で人を寄せ付ける。一方、犬川市は、住民の魅力や、そこから生まれる高い文化で、人を引き付ける。その証拠に、最近、東京からの特急電車の停車本数が、猫山市は大幅に減らされた。一方、犬川市は大幅に増えた」と、山崎陽一が付け加えた。

「市民と行政の関係という抽象的な観念の変更だけで、街はずいぶんと差がでるものですね」と、私は感心した。

「そんなことが、だんだんと見えてくると、故里・猫山市への危機感が募り、とうとう、市議会議員の立候補へと考えが傾いたわけさ」

 

  9 楽園の消滅

 山崎陽一は、さらに話を進めた。

「ただね。私も、それほど、利他的な人間とは言えないよ。正直言って、利己的な動機も含んでいるよ」

「それは、どんな?」

「君たちの人生の参考になると思って言うよ。聞いてくれるかい?」

「もちろんです」

「私は二八年ほど前に、大学を卒業してサラリーマンとして働き始めた。けれど、自分はサラリーマンに向いていないと思ったね。独立しさえすれば、パラダイスが待っていると思った。第一の楽園だ。

 そして、二七歳で、私は起業家としての道を歩みはじめた。二九歳で、自分の立ち上げた事業のみで食えるようになった。二,三年は確かにパラダイスに思えた。自分が自分のボスになることは、素晴らしいと思った。ところが、自営業の世界はお金が入るのと比例して、自分のプライベートな時間が無くなる。お金と自由な時間を両方手にしたら、そこはパラダイスだと思った。

 二〇〇〇年ころ、『ニューヨークタイムス』の本のベストセラーリストに一年続けて入っている本があった。ロバート・キヨサキ著『金持ち父さん、貧乏父さん』だ。そこには、お金と自由な時間が同時に手に入る方法が書いてあった。それから一〇年の間、私はそれに夢中になった。新たなる第二の楽園を求めてね。

 四〇代前半で、それが実現した。私がいなくても収益を上げる資産を持ち、システムをつくった。従業員は私よりも仕事ができるようになった。やはり、最初の二、三年はパラダイスに思えたよ。ちょうど、子供ができたので、自由な時間は純粋に自分には当てられず、子育てに使ったけど。実は、そこも楽園ではなかった」

「そうなのですか?」

「だんだんと、それを失う不安が増幅していった。四〇代の中葉に入ると、夜中に目が覚めてしまう。たいがい、持っている不動産がシロアリに食われたとか、自社の一〇〇台あるリース車両が洪水で全滅するとか、嫌な夢で目が覚める。また、眠りに着こうとすると、不安が暴走し始める。持っている不動産に入居者が入らずに、高い固定資産税だけを負わされたらどうしようとか、それで私が死んだ場合、子供たちに迷惑がかかるとか。

 面白いことに、子供ができると、最大の不安は、子供に迷惑をかけることになった。これは、自分自身への不安よりさらに大きい。

 そんな不安にやつれて、明け方まで過ごしてしまう。まるで、地獄。そこにも楽園はなかったよ。生きている以上、逃げ場はどこにもないことが分かったよ」

「そういうものですか?」と、育也君が暗い表情でポツリと質問した。

「いずれ、君にも分かる時がくる。というか、今の日本や他の先進国は、この苦悩に突き当たっている。楽園の消滅の体験。そして苦悩から逃げ場がなく立ち止まる姿は、日本の姿そのものさ」

 山崎陽一は、すでに暗くなった窓の外を眺め、続けた。

「そんな時、私は次に何か自分を賭けられるものを探していた。その行き場のない苦しみから逃れるようにね。それが政治進出だった。いわば、余裕が、哲学や政治思考を醸成してしまった」

 

   ⒑ 驕(おご)りは必要?

 ここで、育也君が眼鏡の縁を、指一本で上げながら切り出した。

「なんだか、明治維新から第二次大戦までの日本の歴史に似ていますね」

「どういうこと?」と、山崎陽一が尋ねた。

「第一の楽園への到達は日清戦争。第二の楽園への到達は日露戦争。ともになんとかうまくやって、おごりが起きた。そのおごりから、日本は中国大陸をはじめとしたアジア諸国へ手を伸ばし、大戦に突入して、敗れた。あなたの場合は、政治に進出して、敗戦を迎えた」

「育也君、そんなこというと失礼よ」と、私はたしなめた。

「いや、面白い分析だね。その通りかもしれない。そのおごりだけれども、なぜ、起きるのだろう? あるということは必要だからある」

「たぶん、社会での地位や階層が、固定しないように、人類に仕組まれたものだと思います。成功した者は自滅して下位へ落ちないと、次に成功する人が出にくくなる。そうやって、社会に希望と多様化をもたらしていると、考えてみてはどうでしょうか。おごりという自滅システムがあるおかげで、人類全体が生き残れてきたのでしょう」

「さすが、学生さんだね。面白いアプローチだ。目からうろこだよ。あと、おごりで自滅する人にも何かメリットはないのかな?」と、山崎陽一が、育也君に尋ねた。

「キリスト教でいう『罪のあがない』でしょうね。ここでいう罪とは、神と離れているという意味です。人は調子がいいと、神というか、大きな自然の存在を忘れます。失敗し、絶望する時、人は祈りを必要とし、神や自然の大きな存在に気づきます。この意味で、貧しきものは幸いなのです」

「そうだね。私はクリスチャンではないけど、そのことはよく分かるよ。落選して、再び、私は大きな存在に再会できたのだ。

 今日は、これぐらいにしよう。また、来てください。私が立候補を決めてから、書きためた日記があるから、これを持って行って、研究資料にしてください。この中の事実関係より、人が物事に臨むメンタル面に注目してほしいな。きっと君たちの将来の役に立つよ。そして、疑問があったら、なんでも質問してほしい。電話でもメールでもいいよ」

「ありがとうございます」と、育也君が言った。

      

   ⒒ 家族を大切にすると豊かになる?

 その時、事務所のドア外から、子供の声が聞こえた。

「パパ、まだなの?」

 入ってきたのは、小学一年生ぐらいの男の子と、保育園の女の子だ。山崎陽一の子供らしい。

「よくお子さんと一緒にいる山崎さんを見かけます。子煩悩なのですね」と育也君が言った。

「確かに、そういう面もあるけど。家族を大切にする方が、ビジネスでもなんでもうまくいくのだよ」

「え? どういうことですか? ぼくの父は働いてばかりで、家族を顧みることがありませんでした。ぼくは、そのお陰で、こうして大学に通っていますし…。もし、父が家族を大切にして、仕事を二の次にしていたら、ぼくたちの家族は普通の生活ができなかったと思います。父親は、大企業にいてリストラされる不安に、絶えずおびえていました」

「確かに、今までは、そうだったかもしれない。しかし、今後、生産性を生むものが大きく変わるだろう」

「生産性を生むものの変化?」

「これまでは、それは労働時間だった」

「それは、そうでしょう」

「私は、人のあり方が、生産性を決める時代が、始まっていると思っている」

「あり方?」

「例えば、買い物をする時、笑顔でイキイキしている人から買う方がいい? それとも、疲れ果てて陰気な店員さんから買う方がいい?」

「そりゃ、笑顔の人からですね」

「あと、いつも怒ってばかりいて仕事をトコトン嫌に思わせるリーダーと、いつも笑顔で人生を楽しみ部下に仕事の楽しさを教えるリーダーと、どっちがいい?」

「それは、楽しさを教えてくれるリーダーです」

「同じことを同じ時間でやっていても、あり方で成果が違ってくるよ。楽しく笑顔でいる方が、成果も上がるし、ストレスも少ない」

「それは理想論ですよ。社会は、そんな甘いものじゃありません」

「君は、まだ社会に出たことがないのに、社会のことを知っているのだね」

「そうだ。山崎さんの方が、社会経験が豊富でしたよね」

「私は理想論ではなく、それは実利的な話だと思っている。北欧の国が労働時間は短いのに、生産性が日本よりはるかに高いのは、そこにあるよ。

 北欧社会は、特に男性の家事・子育て参加に積極的だ。あり方の基盤はバランスのとれた生活だよ。だから、家族を大切にした方が、豊かになる。それは、私と北欧諸国が証明しているよ。私のような人間が、政治家に選ばれる社会なら、そのようになるよ。家族や自分を犠牲にしなければ社会から認められない社会なら、従来型の人が政治家として選ばれるだろうね。

 猫山市の獅子谷孝子市長は、『あの人は頑張る』ということで、評価が高い。しかし、その評価基準が行き過ぎると、社会全体が頑張り競争になり、人は幸せから遠ざかり、生きた心地がしなくなるよ。

 頑張るかどうかを評価基準にしてしまうと、必ず、ひずみが出る。家族が崩壊するとか、病気になるとか、結婚できないとか。

 私は、頑張らずに成果を出し、何者も犠牲にしない、そこを評価の基準にしてほしいな」

 そう山崎陽一が言い終わると、「パパ、早く」という声がしてきた。

 

⒓ 私の迷いの始まり

外は暗くなっていた。育也君は、私を猫山駅まで送ってくれた。育也君は、今回のインタビューに興奮を隠せない様子でいた。

「山崎さん、落ちてよかったよ。地方議員になっていたら山崎さんの持ち味が失われる。ぼくはね、視野が広がった。これは彩世さんのお陰だよ。これをきっかけに、自分のこれからを考え直すことにしたよ」

 その夜、夢を見た。

 私は、人の列に並んでいた。私と同じ年ぐらいの女性ばかりだ。列の先を見ると、プレス機械のようなものがある。列の先頭の人は、その機械に入り、型を押されて、灰色の制服を着て出ていく。言葉遣いも違った人になって、歩いていく。制服を着た女性たちは、つくり笑いをしていた。胸が苦しくなった。

「私は嫌だ」と叫び、列から外れた。それで、目が覚めた。汗をぐっしょりかいていた。私も、自分の進路を考えなおす時が来た気がした。

 

 

 

第3章 世間しらず政治活動記

1 夫婦パワー

私の迷いから脱出するヒントが、山崎陽一の手書きで書かれた日記にあるような気がして、読み始めた。すると、先日の対話では分からなかった人間としての山崎陽一が、日記から立ち上がってきた。印象的な記術を、次に抜粋する。

 

 平成三〇年九月一日 出馬の決意

 私の意志は固まった。猫山市は民主主義の危機に陥っている。僕は来年四月の猫山市議会議員選挙に立候補する。今日、ユウちゃん(山崎陽一の妻)に、その意志を伝えたら、「ヨーちゃん(山崎陽一のこと)にはできる。ヨーちゃんには、その資質と条件がすべて整っている」と、むしろ、ユウちゃんもワクワクしているようだった。

 私は、素晴らしい妻を持ったと思ったよ。普通なら、止めるだろうね。こんなことは、これが最初じゃない。何回もある。たいていの冒険は、一緒に楽しんでやってくれる。この前は、二人で婚活の本を出版して、テレビに取り上げられたな。あの時も、二人でドラマ仕立ての演技をして。

 ユウちゃんと出会った時、最初に送ったハガキにこんなことを書いたな。

「ワクワク人生をご一緒に」

 あと、そうそう、結婚式の夜、ユウちゃんにこんなこと言われたな。

「私たち最強のチーム家族をつくろうね」

 今、本当に、そんな家族が作れているね。明日、ユウちゃんに、そのことを伝えよう。

 ただ、私の両親は、こんな訳にはいかない。反対されるのは、分かっている。さらに、神経が細い父親に心配をかけたくない。もう八五才にもなる。できるだけ、秘密にして、選挙期間の一週間だけ、心配させる作戦をとろうと思う。

 平成三〇年九月三日 政治団体つくる

 初めて知ったことがある。公職選挙法で、選挙活動は選挙期間中しかできない。しかし、政治活動は普段からできる。憲法で保障されている言論・表現の自由から。ただ、政治活動をするためには、政治団体をつくり、県に登録する必要があると。

 それで、今日、政治団体「山崎陽一と未来を創る会」を県に登録した。

 さらに、ユウちゃんと、選挙前までの政治活動の計画を立てた。

 それで、月一回「市政ズバット新聞」を発行して、猫山市全戸に配布することにした。この新聞は市民のアンケート調査結果を中心にして、選挙までに全五回発行することにした。費用は、印刷と配布で一回七万円。計三五万円。

 あらかじめ、紙面内容を事前に次のように計画した。

  創刊号=猫山市議会と犬川市議会の能力比較特集(一二月一日発行)

  第二号=平成三〇年間を振り返る〜市民の記憶に残る出来事(元旦発行)

  第三号=猫山市と犬川市どっちが魅力的?アンケート(二月一日発行)

  第四号=地区すいせん、有益か害か?アンケート(三月一日発行)

  第五号=市民が考える猫山市の問題の本質ベスト⒑(四月一日発行)

 これだけやれば大丈夫だろう。それに、これだけの情報発信能力のある候補者は他にいない。僕たち夫婦は、子育て中だし、本来の仕事もあるので、政治活動に時間を取れないので、新聞発行を中心活動とすることにした。

 そして、こんな歌を詠んだ。

 なすことと心は別に淡々と 揺れる心は無駄ごとにして 陽一

 

 平成三〇年九月一二日 

 ユウちゃんと、何ために市議会議員になり、どんなことをやっていくのかというテーマで、ディスカッションした。ユウちゃんとの企画会議は、いつも楽しい。私の最強の参謀で、私から最善のものを引き出してくれる。

 あとユウちゃんの本業のイメージ・コーディネートの知識も盛り込み、選挙にワクワクする。

 二人の計画では、選挙も四〇万円以下の費用でいけそうだ。落ちても痛くもない。

 

 平成三〇年九月三〇日 手作り選挙道具

 選挙まで六ケ月半。自社ビルの一室を工作スペースに当て、選挙道具を手作りしている。選挙カーの看板を完成させた。費用も三万円とかからなかった。ウグイス嬢を雇わなくて済むように、録音した音声を拡声器で流すオーディオシステムも組み立てた。次は、立て看板の作成が待っている。全部で一二枚掲示できる。

 

 平成三〇年一〇月三日 自分らしく

 自分の中で、理念や政策を明確化していく必要がある。自分の生き方と、それが一致していなくては、ブレが生じる。ユウちゃんがこんなことを言っていた。

「市議会議員選挙は、面接みたいなものだと思うよ。私こういう人です。こういう政策を持っています。それで、市民が認めれば仕事をすればいいし、認めてもらえないなら、他のことをすればいい。それだけの話じゃない?」

「そうだ。だから、僕はできるだけ、自分らしくいようと思う。議員になるために、自分以外のものになっても、なったあと辛くなる。それなら、出ない方がいいし、出ても落ちた方がましだ」

 この点は、ユウちゃんと意見が一致した。

 そして、ユウちゃんとの対話の中で、私たちの生き方と政策は一致すべきで、それがぶれないようにする必要があると、僕たちは思った。

 それで、次のような大まかな政策がまとまった。

  @少子化対策は、母親の応援が優先

  A市民の声を形にする仕組み作りが必要

 

   2 山崎陽一の政策

 ここまで読み、私は山崎陽一に電話をしたくなった。政策考案の過程を知るために。

「山崎さん、先日はありがとうございました。日記を拝見させて頂いています。今、政策の考案の箇所まで読み、いくつか質問させて頂きたいのですが」と、私は用件を伝えた。山崎陽一はどうぞと言った。

「どうして、少子化対策を前面に出したのですか?」

「私は子の親なので、自分のことより子供の将来が不安だよ。子供が成人した時、やっていけるのかという点がね。少子高齢の人口構造では、若者の税や社会保障費の負担が大きくなる。働いて給料をもらったら、その半分以上を税金や社会保障費で持っていかれたらどう思う。何のために働いているのかわからなくなる。だから、このまま少子化を放置するより、三〇年かけてもフランスのように出生率を一・八ぐらいまで上げる必要がある。フランスにできて、日本にできないことはないよ」

「では、なぜ、少子化対策に母親応援なのですか?」

「ここが他の政治家とは違うところ。私は婚活の指南書も出版している。『奇跡の婚活術』という題名で。よかったら読んでね。月一回、この関連のセミナーを三年ほどやっているよ。

 そこで思ったのは、特に女性の結婚願望が薄くなっていること。

 さらに、私は妻の出産・子育ての大変さを見ている。

それで、若い女性に結婚願望が薄れるのも無理はないと思った。

結婚して子供を産んだ後の大変さを考えたらね。

これから、私たちの社会を持続させるには、ここが重要だと思っている。少子化問題をなんとかするためには、まず、今いるお母さんたちを応援し、次にお母さんになりたいという人を増やすことだ、と思った。

 不思議なことに、人は誰かに助けられることに抵抗するのだね。結果的に、そのお母さんたちからも得られた支持も少なかったよ」

「革新的すぎるのでしょうね」

「話は全く変わるけど、縄文時代の地層から出土する土偶は、どんな形が多いと思う?」

「宇宙人みたいな形ですか?」

「たいてい、あれはお腹に赤ちゃんを身ごもったお母さんだよ。縄文時代は、お母さんを社会の中心に考えていただろうね。というか、命中心主義。だから、一万年以上も幸福な社会を持続できたのだと思う。

 今はお金中心主義だからね、命は二の次。社会は、子供を産み育てるより、お金を生み育てることに一生懸命になっている。

 私の理想は、新縄文主義。何も竪穴式住居で暮らして、狩猟採集生活をするというわけじゃないよ」

「分かります。あと、市民の声を形にする仕組みづくりについて詳しく教えてください」

 

   3一般市民による政策立案チーム

「私は、一般市民による政策立案チームなるものを立ち上げて運営しようと思った」

「それは、何ですか?」

「一言でいうと、憲法で保障されている請願権の強化。通常、市民が何か困ったことがあり、市や議会に要望を通す時、一人で陳情するよね。この時、議員のサインがあれば、請願になって、確実に議会で取り上げられる。

 私は、これを同じ課題を持った人を集めて、集団請願を行い、市民の発言権を強化しようと思った」

「どんな方法でやろうと思ったのですか?」

「まず、議員になった私がメンバーを集め運営しようと思っていた。その中で、子育て部会、環境部会、福祉部会などに分けて、請願書を作成する。ただ、説得力のある文章を書いたり、的確なデータを集め加工できたりする人は少ないので、こうした人を育てなくてはならない。それが課題だったね。そのため、市独自の政策立案ファシリテーター認定制度をつくろうとも思った」

「次の段階としては?」

「実績を積み、公的な機関に格上げして、このチームメンバーにも収入が発生するようにしたかった。例えば、一回の会議出席につき三千円とか、文書作成したら一万円とかね。それには、メンバーの参加要件も必要だったね。例えば、市民から一〇人の推薦が必要だとかね。任期も必要だよね。

 さらに、私は稀有なことを考えた。このチームを第二議会に格上げして、無能力化している本議会の機能補完を考えた。

 ただ、本議会は第二議会が上げてくる請願に拒否権がある。その代わり、第二議会は、本議会全体の評価や、議員一人ひとりに成績表をつくり、発表する業務も負うことにする。すると、議員たちは本来の仕事をし始める。さらに、市民の声を吸い上げ現実化する仕組みができる。

 こうして犬川市を超える市民に活力がある街ができるのさ。そして、好循環が起きる」

「どこから、こんな発想が浮かぶのですか?」

「古代の共和制ローマだよ。それは、元老院と市民集会でなっていた。貴族の意見と市民の意見の対立を意図的につくって、より深い議論を促した。古代ローマ人は、ギリシアの多種多様な政治形態をよく研究して、この体制を採用した。これが質のよい市民をつくり、大帝国を築く基礎になったのさ。

 私は、この地方議会の二院制が猫山市でモデルケースになり、日本全体に広がれば、地方活性化の起爆材になると思った。

 ただ、私が落選したということは、猫山市民は、それも望んでいないということだ。市政参加はまっぴらごめんだ! そんな面倒なことは、プロの市長に任せておけということだ」

「本当にそうでしょうか?」

「猫山市が落ちるところまで落ちた時、その必要性に気づくだろうね。すでに癌になっているのに、検査も受けずに生きている人に似ているよ。痛みが出た時、本気で治療するか? 手遅れになるか?」

 ここまで考える地方議員がいるだろうか? まあ、この制度は「猫に小判」か。

 

   4 黒い利権の抵抗

「ただね、こうして、一般市民の発言権が強化されれば、困る人たちがたくさん出てくるよ。こんな仕組みができてしまったら、黒いお金の流れが暴かれる。私もいくつか知っている。

 さらに、この制度のお陰で、議員たちが、市民からお金を得る道が絶たれてしまう。

 アンチ山崎陽一キャンペーンが起こるわけだよ。黒い利権を握っている人たちを、市民は味方したよ。

 後から考えると、私は、世間知らずだった。政治家も選挙も汚いものだと、私は分からなかったし、それを信じたくない青さがあった。世間様は、ちゃんと汚さを分かり、ちゃんと受け入れている……」

 ここで、山崎陽一の日記に戻ることにする。

 

   5 出馬の障害を乗り越える

 

 平成三〇年一〇月一五日 あとを絶たない議員不正ニュース

 真夜中に目が覚めた。眠れなかったので、テレビをつけた。ちょうど、山富市議会の不祥事についてのドキュメンタリー番組を放映していた。

 テレビ局は、議会に不信感を抱き、議員の活動資金を調査した。

 それで、ある議員の不正を発見した。実際には開催していない活動報告会を、やったことにして架空の領収証をつくり、不正に活動資金を受領していた。テレビ局が、この事実をその議員に告げる場面も放映された。顔が青くなり、しどろもどろしている姿があった。その後、芋ずる式に不正が発覚して、大半の議員が辞職する。

 議員になった時の人の目の怖さというものを実感した。油汗をかいた。そう言えば、この数年、マスコミは地方議員の不祥事事件をひっきりなしに取り上げている。世間の目は厳しくなっている。火のないところに煙は立たずで、本当に地方議会は腐っているのだ。

「さあ、お前はどうする?」と、問われている。

 

 平成三〇年一一月二日 不思議な視力を手に入れて

最近、僕の中に不思議なことが起こっている。どうも、僕の目の前に「大衆」が、立ち上がってきた。普通に生活していると、「世間」と人は向き合う。商売を始めると「マーケット」と向き合う。

これまで、「世間」と「マーケット」には、自分を圧倒するほどの圧力を感じなかった。しかし、「大衆」には感じる。強い圧力を。この圧力の正体は、分からない。この圧力は、政治家を志さない限り、体験できない。

 さらに、不思議な視力を、僕は手に入れてしまったようだ。大衆のうちの一人一人の心の開き具合がよく分かるのだ。目を見れば、その人が開いているのか、閉じているのか、手に取るように分かる。閉じているというのは、自分だけの世界の中で生きている状態。開いている人は、自分を超え、外に目と思考が向いている状態。

 閉じている人の存在そのものが、グサリグサリと、僕の心を突き刺す。

 閉じているだけならまだいい。

その中で、自ら損得勘定で動いているなら、まだ救いがある。ただ絶望の中にいる人がいる。こんな人に会うと、心が痛くなる。さらに、絶望を通りこして、虚無の中に抜け殻のように息をしているだけの人がいる。開いている人は希だ。大多数の人は閉じている。

 何だ! この感覚は。僕の想像力の産物か? それとも実在するのか?

圧倒的な閉じている人の存在が、僕を誘惑する。

「お前も閉じろ! その方が楽だぞ。大衆の一人になれ! リーダーシップ? 社会貢献? そんなもの何になる? 傷つくだけだ。閉じろ!」

最近の僕は、この言葉と戦っている。

たぶん、この大衆との対峙は、私だけではない。そして、この戦いに打ち勝った者が、出馬の記者発表にこぎつけるのだ!

 

平成三〇年一一月七日 魔法の呼吸

風邪をひいて寝ていると、家の外で鐘の音がした。仏教の師匠で、僧の法源さんが訪ねてきてくれたのだ。飛び起きて書斎に招いた。そして、今、抱えている大衆から受ける心の痛みについて、話を聞いてもらった。

「呼吸を使って、痛みを外へ出しなさい。『痛い、痛い』と言って、息を大きく吐いて、『それでいいんだよ』と言って吸う。これをとにかく繰り返すのじゃ。またこれは、物事をやり抜く胆力を養うのじゃ。以前、私もある教育者から伝授され、自らの癌を治したことがある。これを魔法の呼吸という」

 信じて、実践したら、すぐに楽になった。続けよう。

 

 平成三〇年一一月一七日 地区推薦

 私が猫山市内に看板を設置しはじめ、「陽一さん、選挙にでも出るの?」と声を掛けられることが多くなった。そして、「地区推薦がないと厳しい」というアドバイスを多くの人に頂いている。しかし、自分に言い聞かせる。

「迷ったらより難しい道を行け! そこに人生の醍醐味がある」

さらに、街が戦場に見えてくる。この立て看板は、他の立候補予定者の威嚇と、縄張り主張だからだ。新しい他の候補者の看板が立つ度に、心が揺れる。

 

 平成三〇年一二月一〇日 記者発表

今日、「陽一さんは、いつ記者発表するのですか?」と、知り合いの現役議員の鳥沢壮介さんが、電話をかけてきた。鳥沢さんは、市長の次に議員選挙の出馬表明をした。

「新人は早い方が有利ですよ」と、鳥沢さんはアドバイスしてくれた。

「そんなもんですか。では、一週間以内にやります」

 ということで、記者発表のためのプレスリリースを、明日つくろう。

鳥沢さんは、集めた情報を私に伝えてくれた。

「選挙は、一八人が出そうです。そのうち、女性が五人。今回は、競争率が高いから盛り上がりますよ。陽一さんも頑張ってください」

 内心、この情報に動揺した。僕が票を得たいのは、女性からだ。そこにこれだけの女性が出れば、不利になる。ただ進むのみ。

 

平成三〇年一二月一七日 父母の壁

ついに恐れていたことが起こった。

昨日、僕の出馬表明の記事が新聞に載った。それが、父母にも知れた。

母親はカンカンになって怒っている。

「勝手なことはさせない」と、かたくなになっている。

一方、父はオロオロして、何度も私たちの家にきて、泣き言をいう。

「選挙は金がかかる。末代までの恥だ。猫山市中の人が笑っている。今なら辞めることができる」

 僕の心が痛んだ。出馬と決めて、最も困難な事態がやってきた。ふと、「このまま体調不良を理由に出馬断念の記者発表を、選挙直前にやってしまおう」とも考えた。この考えを吹き飛ばし、やると決めた。

 

平成三一年一月二日 父母との和解

東京にいる兄が実家に来た。

父母と僕の仲裁のためだ。兄がうまくおさめてくれた。

それで、父母も「やるだけ、やってみろ。その代わり、一切、支援はしない」ということになった。これで、出馬の最大の壁を突破できた。兄に借りができた。

 

平成三一年二月三日 街頭演説で殻を破れ

選挙まで、あと約二ケ月半。私は、この活動の中で、楽しみがある。自分の話術が向上すること。そして、自分の殻を破ること。それには、街頭演説をするのが、もってこいだ。

 それで、初の街頭演説を、駅前でしてみた。最初はドキドキしたが、一度やってみれば、どうっていうこともない。嬉しいことに、大学生ぐらいの女の子が、私のパンフレットを持っていってくれた。

  

    6 新たに出馬する人

 

  平成三一年二月二日 議員は無力がいい?

いつもの朝のように、自分の子供を保育園に送った。保育園の門の前に、熊丘安子という議員出馬予定者が二人の仲間と立ってパンフレットを配っていた。

「公職選挙法違反じゃないか」と、注意をした。

 この人は五〇代前半で、以前、市民の政治意見交換会で会ったことがある。積極的に発言をせず、発言しても的確な内容ではないように思われた。法律や学術的な素養に疑問を持った。現役の県議会議員が全面的に応援しているという。

 その県議の支持層をそのまま貰えるようだ。

 当選するだろう。ただ、当選した後に、相当、苦労するだろう。

 以前、市民活動に熱心な方に、こんなことを言われた。

「議員は、能力は必要ない。人の話を聞ければ、それでいい」

 そんなものだろうか? 議員には、知性やノブレスオリュージュの高貴な精神は必要ないのか? 自分は時代錯誤なのか?

 

  平成三一年三月二四日 一六人の候補者

選挙公示まで約三週間。最終的に私を含め一六人の出馬ということになった。

最後に、私の怒りの対象であった狐沢ヒロコが出馬表明した。

「市民目線の市政」を掲げ。あきれた。

酒癖が悪く、暴力団との関係もあり、悪評判が立っている人も出馬表明をした。

猪山大介さんをはじめ、知り合いも何人かいる。

出馬表明者は男性一二人、女性四人。

たいていの候補者は、裏で個別訪問をして、票固めに熱心だ。

僕は『ズバット新聞』の情報提供と、あり方で勝負する。公職選挙法遵守。

普段と変わらない生活をする。僕は妻を助けることを第一にする。

「子育て母さん応援」と言って、妻に大変な想いをさせてまで受かったところで何になる?

選挙に受かっても、妻からの支持を失ったら意味がない。

また、選挙後、離婚した夫婦を何組か知っている。

これも、自分の脱法的な個別訪問をしない自分への言い訳か?

 

  7 奥さんからの視点

ここまで読んで、奥さんから、どんな目で、山崎陽一が映っていたかを知りたくなり、奥さんに電話をかけた。挨拶と要件を伝え、切り出した。

「旦那さんは、立候補を決めてから、奥さんの目から見てどう映りましたか?」

「普段と変わらず。あの人は、いつも淡々と、目の前のことをこなしていくだけでした」

「奥さんとしては、選挙はどうでしたか?」

「楽しかったですよ。それはもう。一生のうち、そうできる経験ではありません。私は、カラー・コーディネートの仕事をやっていますので、存分に私の知識でサポートできました。まるで、結婚の準備をするカップルみたいに楽しみました」

「小さいお子さんがいて、負担は増えませんでしたか?」

「主人は、いつもと変わらずに、私を助けてくれました。あんな男性が増えれば、と思いますよ。けれど、猫山市では受けいれてもらえませんでした」

「どうしてでしょう?」

「まず、あの人は選挙前に、人と人との分かち合いを、あまりしませんでした。それよりも、選挙のPR道具の工夫に熱心でした。エネルギーを注ぐところが間違っていたのでしょう。

 あの人は、考えが世間様より、一歩も二歩も進みすぎて、生意気に見えるのでしょうね。そういう人いますよね」

「分かります。でも、どうして、旦那さんのような革新的な人は、そういう目で見られるのでしょうか?」

「革新的な人って、子供のころから、親のいうことを聞かないですよね。親が子供の保護のためにつくった囲いを、反抗したりだましたりしながら乗り越えます。

 一方、保守的な人は、子供のころから親の言うことをよく聞いて、その囲いの中でおさまり生きていきます。そんな方は、安定した暮らしの代わりに、自分の心の声に耳をふさぎます。ですから、押さえつけらえた感情が心の奥底にダムのように溜まっているのではないでしょうか?

 革新的な人の存在そのものが時折、その感情に揺さぶりをかけてしまうのだと思います。彼らにとって、自分の感情と向き合うのが怖いのです。『その生き方でそれでいいのか?』と問う人間が怖いのです。彼らが、その問いに向き合ってしまったら、今の生活が崩れてしまう怖さがあるのでしょう。

 けれど、私は思いますよ。おかしいと思ったことに、ノーとはっきり言える人は必要です。何でもかんでも長いものに巻かれていたら怖いことになります。

 議員の地区推薦でも、同じ地区だからという理由で、選挙運動に駆り出される主婦たちがたくさんいます。夫は言っていました。『選挙に参加する時間があったら、家族の時間を大切にしてほしい』と。ですから、夫は最小人数で選挙に挑戦したのです。そこは認めてほしかった」

 奥さんの分析は、山崎陽一の主張よりも的確だと、私は思った。

 そして、私の本当に超えるべき、課題が見えてきた。それは、卒業論文でも、就職でもない。

 

第4章「あなたが宝」届かず

 

   1 桜の街を駆け抜けて 

 

 四月七日 

 選挙ポスター用ポスターが届いた。キャッチコピーは「あなたが宝」。

 あなたが宝だから、あなたの声を形にする仕組みを作りたい。

 この言葉に、街中の人の胸に届くか?

 これを見た人の胸に感動を起こせるか?

 選挙カーから流すアナウンスにも「あなたが宝」をメインテーマに盛り込もう。

 これで、山崎陽一旋風が起こせるだろうか?

 

 四月一〇日 選挙戦略

 選挙公示まであと四日。このところ、のんきにも趣味の歴史書を読んでいる。古代ギリシアのアレクサンダー大王の遠征物語だ。アレクサンダー率いるギリシア軍は一万人程度の兵力で、五〇万の兵力をもつペルシア王国に侵入する。

出発時に、アレクサンダーは、長老たちにいさめられる。

「この兵力で遠征は無謀だ」

 これにアレクサンダーは答える。

「かえって大人数の兵は不利になる。遠征先での物資の確保が大変にもなる。大軍団だと、機動性を失うし、密集するとパニックに陥りやすい。小軍団こそいい。

弱みは強みになる。逆に強みは弱みになる」

 選挙でも、これだと思った。

 地区推薦を受けないということは、市全域代表ということになる。

 私は選挙にお金をかけていない。逆に他の候補者はお金を湯水のごとく使っている。質素倹約選挙を強調すれば、「金銭感覚がするどく、税金の使い道をしっかりとチェックする人」ということになる。逆に派手な選挙は、「税金を無駄遣いする可能性がある」と、印象づけられる。

 敵の強みを無効にして、自らの弱みを強みに変えてしまえ!

 

 四月一四日 選挙初日

 桜が咲き始めた。朝八時半、立候補の受付を済ませると、自宅の駐車場にポスター貼りスタッフが集まってくれており、ポスターを手渡し、一斉に担当エリアに散った。

そして、選挙カーでスタート。運転手は、幼馴染みだ。さらに、女性の手振りスタッフ一人と、ユウちゃん。

「僕たちの結婚式を思い出すよ。準備を一生懸命にして、短い期間に全てを賭ける。あの時の感覚と同じだ」

 僕は、ユウちゃんに言った。ユウちゃんは、答えた。

「ヨーちゃん、結婚式の時のように、思いっ切り楽しむよ。自分の主張を、堂々と皆に言える機会なんて、一生のうち、そんなにないものね」

 僕は紺の三つ揃いスーツに、自作のターコイズ色のタスキの姿に、白手袋。

 事前に録音しておいたアナウンスをスピーカーで鳴らし、街中を走った。この日のアナウンス内容は、次の三パターン。

 

「猫山市全域代表の山崎陽一です。この町の宝、それはあなたです。そんなあなたの声を形にします。その仕組みを作ります。それが山崎陽一の仕事です」

 

「猫山市全域代表の山崎陽一です。地区の小さな枠で考える候補者がいいのか? 市全域を考える候補者がいいのか? 選ぶのはあなたです。ただ、地区には区長さんがいます。議員が区長と同じことをするなら、税金の無駄遣いです。猫山市全域を考えるのは山崎陽一です」

 

「猫山市全域代表の山崎陽一です。少子化の問題で子供の支援を叫ぶ候補者がいます。山崎陽一は親、特にお母さんの応援を目指しています。どちらが効果的か、選ぶのはあなたです。しかし、これだけは言えます。お父さん、お母さん、あなたの笑顔こそ、子供には何より必要なのです。子育てお母さん応援、それは山崎陽一の仕事です」

 他の候補者は、高いお金を払ってウグイス嬢を雇い、名前と「お願いします」の連呼しかしない。僕たちの方法は、お金も労力もかからない。機械が自動的に連呼する。疲れを知らない。

(機関銃と弓矢との違いだ。さらに、どうして、産協党を除く全ての候補者が、なにも主張しないのか? まるで自分たちは理念も政策もないというように)

 僕は疑問に思った。

 二人の幼い子供を民間の託児所に預けた。夜八時に、子供を迎えに行き、長男が言ってくれた。「パパ、かっこいいよ」と。嬉しかった。まあ、明日に備えて、早く寝よう。

 

 四月一九日 選挙中盤の戦法

 あまりの忙しさに日記を怠った。

 月曜日から、毎朝、自転車で渋滞のできそうな場所に行き、「山崎陽一」とかいた旗を持って、手を振った。それから、九時に帰り、選挙カーに乗って遊説する。時折降りて、演説したり、旗振りしたりする。そうやって、夜八時まで選挙活動を続ける五日間を送った。

 選挙カーは、僕を含め三人。雰囲気は非常にいい。

「トップ当選いけるかも」と盛り上がっている。

 道ゆく人も手を振ってくれる。特に高校生や小学生の反応がいい。

 ただ、保守的な人向けにも、次のようなアナウンスをつくり流した。

 

「選挙で派手にお金を使う候補者がいらっしゃいます。

 山崎陽一は、質素倹約選挙です。候補者の金銭感覚は、そのまま市政に反映します。どちらがいいのか、選ぶのはあなたです。

私ども夫婦は、質素ですが、温かい両親の元で育ちました。人の本当の宝とはそんなところにあるのではないでしょうか?」

 

「私たちの猫山盆地には縄文時代の遺跡が多く出土します。その多くが、お腹に赤ちゃんを宿したお母さんの土偶です。一万年以上、幸福な生活を続けた縄文人たちは、どうもお母さんを社会の中心に据え、大切にしていたようです。

継続可能な社会を続けるには、縄文人を見習う必要があります。

山崎陽一は、お母さんを応援します」

 

 ところで、選挙最終日を前に、趣味のタロットカード占いをした。

「選挙の結果を教えてください」と呟き、カードを引いた。出たカードは、カップの1。トップ当選か?

 

 四月二〇日 最終日

 土曜日。最終日のアナウンスは、午前から三時半までは次の通り。土曜日は、子育て世帯が家の中にいる可能性が高いから。

  「子供の虐待をめぐる痛ましい事件があとをたちません。

  山崎陽一は、子育て真最中で感じていることがあります。

  今、親が追い詰められています。

  どんなに立派な人でも、疲れ切っていれば、何をするか分かりません。

  子供を守るためには、まず、親を助ける必要があるのです」

 午後三時半以降のアナウンスは次の通り。

  「市議会議員候補の山崎陽一から最後のメッセージです。

  お付き合いや誰かのお願いではなく、あなたの意志で決めてください。

  その時、あなたの一票は本当の力を持ちます。

  なぜならば、山崎陽一は、あなたが宝だと、思うからです」

 夜八時に、選挙戦の全てが終わった。

 手伝ってくれたスタッフの方から、「選挙結果を一緒に見て万歳をしたい」という申し出を受けたが、次の理由でお断りした。

「落ちる人もいるし、当選したことは、おめでたいことではありません。困難がこれから待っていますから」

 桜が散り始めた。それを眺めながら、ユウちゃんに言った。

「桜の季節に、またいい思い出ができたね」

 ユウちゃんも微笑んでいた。

 

    2 トップ、後ろから

四月二二日 

昨夜、寝ている時に、ユウちゃんが、枕元で声を掛けてくれた。

「ヨーちゃん、トップだったよ」

「そうか。よかった」

「後ろからトップ」

 僕はずっこけて、ユウちゃんも大笑いした。そんなユウちゃんのジョークで、最初のショックは笑いで和らいだ。

「ありがとう。ユウちゃん、何も心配いらないよ。僕は平気だからね。ユウちゃん、僕たちにとって、ベストなことが起こったよ」

そう言って、ユウちゃんの手を握った。そして、再び、眠りに落ちた。

朝起きて、隣の父母の家に行き、報告した。

「親父が言ったように、末代までの恥を作ってしまったよ」

 しかし、温かい言葉を父母は言ってくれた。

「恥なものか。違反したなら恥だが、お前は正々堂々、きれいにやった。お前は勇気をもって、まっとうな主張をした。お前の立候補がなければ、無投票になった。そうすれば、市政はますます腐る。お前は市のために尽くしたよ。山崎家の誇りだ。名も売れた。商売もよくなるぞ」

 涙が出た。そして、仏壇に線香を上げた。

 その朝は、普段通りに、保育園に長女を送った。笑顔で、何もなかったように、ママたちや先生に挨拶した。ここで、笑顔でなくては、負けだと思った。 

その日は、仕事は休みにしていた。

そのため、思い浮かぶ関係者に、お礼の電話やメールをした。負け方が大事だ。どの人も、励ましてくれた。

それで、ようやく自分のしたことが、社会貢献になったことを実感できた。

 

  3 戦ったものの巨大さ

 

四月二三日

市役所の選挙管理委員会に用事があって、出向いた。

その時に猪山大介さんに会った。前回、私と同じスタイルの選挙をして落ちた人だ。

「当選、おめでとうございます。あの新議員のメンバーの中で、まともなのは、あなただけだと、私は思っています。期待しています」

 猪山大介さんは、歯切れが悪そうに、僕に言葉を返した。

「オレも地区のことをやらなければならないし、オレ一人で戦ったところで、どうしようもない。多勢に無勢だ。自分自身を何もかも持っていかれたよ」

 人が変わっていた。地区推薦の組織選挙をすると、こうなるのか。この人ですら、こうなる。

 第一、猫山市民は、それを望んでいる。仕方ない。

 未だに心の底で、怒りを感じていた狐沢ヒロコ議員も許せる気がした。猫山市民は、僕を落とし、狐沢ヒロコを選んだ。彼女の悪評も十分知れ渡っている。それでも市民は選んだ。

 今後、彼女も議員報酬の奴隷になり、気苦労の多い芸当をやってのけなければならない。

 あと、飲酒運転で事故を起こし、執行猶予中の候補者もいて、それでも猫山市民は選んだ。

 猫山市には、テコでも動かない根深い何かがあり、僕の手ではビクともせず、僕はそれにただ跳ね飛ばされた。僕が立ち向かったのは猫山市の小さな動きではない。時代の潮流だ。負ける訳だ。

 猪山大介議員の後ろ姿を見て、絶望を感じた。彼らは、議員になることが目的になっている。本来は、単なる手段のはずだ。

「政治とはそんなものか!」

一方、自問した。

「オレは、中年にもなっても、ただの青いだけの男か?

こうして、国の経済の低下と同時に、国の政治も腐っていくのか? 

 古代ギリシアのアテネが、衆愚政治に陥り、衰退したように」

 少なくても、オレは選挙には落ちたが、腐らずにすんだ。

 

  4 山崎陽一との再会

 ここまで日記を読み、私は再び、山崎陽一に会いたくなった。それで、山崎陽一に電話して、アポイントをとった。そして、育也君も誘った。面会までの間に、育也君にも、日記を読んでもらった。

  五月一日から令和が始まった。訪れたのは、ゴールデンウィーク明けの夕方のこと。

 私たちは挨拶を終えると、育也君が、まず、日記の感想を話し始めた。

「山崎さんに失礼を承知で言います。山崎さんならぼくの率直な意見を受け入れて頂けると思ったので。

 ぼくは最初に思い浮かんだのは、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公。ロシアの都会に住む若い男が、お金貸しのお婆さんを殺してしまう、暗い小説の」

「私とどんな関係があるの?」

「あの主人公ラスコーリニコフは、狭い屋根裏部屋に閉じこもり、報われない自らを救い出し、正当化しようとした。その思考が暴走し、過激な行動に出た。ラスコーリニコフは殺人だったが、山崎さんは選挙だったと、言えないでしょうか? 

 山崎さんは、夫婦の閉じられた関係の中で、思考を暴走させた。

 それは、イエスにも言えます。砂漠で瞑想して、その後、自らの思想を説いて、保守派から反感を食らって、処刑された。

 ソクラテスも、そうやってアテネの保守派市民の反感を食らって、同じく処刑された。山崎さんも、この傾向があったのだと思います」

「それ、図星だと思うよ」と、山崎陽一は、笑顔で答えた。

「ただ、誤解してもらいたくないのは、そんな生き方、ぼくは好きです。たった一人で、大きなものに立ち向かう、そんなことをぼくもしてみたい。山崎さんは、それができたのが、うらやましいと思います」

「そんな風にお情けでも言ってもらうと、うれしいよ。ただね、当時の保守的なユダヤ人から見ると、イエスが出現した時、無礼な奴が出てきたと思っただろうね。アテネの保守的な人たちも、ソクラテスが出てきたとき、ずいぶん、嫌な変り者が出てきたと思っただろうね。二人とも神をも恐れぬ不届きな奴に思えただろう。猫山市民も、私の登場で、同じような感覚を多くの人が持ったと思う。私は、そこに無頓着だったよ。イエスやソクラテスは、殺された。私は今の世でよかった。落選だけで」

 山崎陽一は、笑っていった。そして、育也君は付け加えた。

「昔の保守的な人も、イエスやソクラテスを殺すまではしなくてよかったと思います。こんな時、社会は末期症状と言えるのかもしれませんね」

 育也君は続けて言った。

「また、こうも考えられます。猫山市議会が、本当に腐っているかも、検証が必要です。もしかしたら、最初から論争することより、とにかくテーブルについて話し合おうとする人たちの集まりかも知れない。猫山市民は、そういうタイプの人しか政治家として認めないと、考えているのかもしれない。それを腐っているとは、一概には言えないと思います」

 それを黙って聞いていた山崎陽一は、口を開いた。

「それも一理あるね。腐っているかどうかを判断する基準はある」

「どんな?」

「目的だよ。議員たちが、保身目的にあれば、腐っているだろう。

 議員はあくまでも手段で、市民のために政策を通すという目的があれば、それは腐っていない。これはよく観察すると分かることだ。

 今の話は、議員個人の基準。議会のみならず、組織や社会全体の腐敗の度合いを測る基準はある」

「そんな便利な物差しがあるのですか?」

「歴史をよく観察することさ。発展し、世界に影響力を与える国は、異質な人材を中心に採用しようとする。

 一九世紀の最盛期のイギリスは、ディズレーリというユダヤ人を首相に選んだよ。他のヨーロッパの国では、ユダヤ人を迫害し、追放していた時代だったから、ユダヤ人が政治家になること自体、珍しいことだった。そのディズレーリは、スエズ運河を大英帝国のものにした。そのおかげで、大英帝国は、フランスを出し抜いて、世界の覇権を完全に手にした。

 古代ローマ帝国では、征服した国の人々も元老議員にして、被征服民の政治参加の道を開いている。

 社会の異質なものへの寛容性こそが、その社会の発展のバロメーターだ」

「では、衰退の兆しとは?」

「異質なものを排斥しようとする動きだね。スペインが世界の覇権を握っていた時、ユダヤ人を国外へ追放した。それから、アッという間に、転落した。

 古代ギリシアでは、ソクラテスという異質な存在を、死刑にした。その後、アテネは地中海の一都市に転落した。

 イエスを処刑したあと、四〇年後、ユダヤ人の王国はローマ帝国に滅ぼされた。ユダヤ人は四散した」

「猫山市も、寛容性、多様性を欠いていると?」

「この私、山崎陽一を落としたということは、そういうことかな」と、冗談のように山崎陽一は言った。

「それ、負け惜しみですか?」と、からかうように育也君が反応した。

「まあ、そういうことだな」と、三人は大笑いした。

「ただ、もう、坂道を転がるのは、止められない。そんな気がする。ただ、これは日本全体の縮図でもあると思うよ」と、山崎陽一は、真顔になって言った。

 

第5章 あなたの本当の宝は何?

 

   1 法源聖人

 その時、外で鐘の音が聞こえ、近づいてきた。山崎陽一は呟いた。

「いつものお坊さんだ。いいところに来た」

 そう言って、ドアを開けた。外には、編み笠を被った老僧が、事務所の前で祈っていた。

「こんばんは。お久しぶりです。法源さん」

 法源と呼ばれたお坊さんは、大きな編み笠を取り、日に焼け、シワだらけの焼けこけた顔を見せた。

「やあ、陽一さん、元気そうですね。今日はずいぶんと、若いお客さんがいるのですね」

「この子たちは、学生さんで、選挙の落選の原因を調査しているのです。よかったら、法源さんも一緒に話に加わってください」

 山崎陽一は、そのお坊さんの紹介を、私たちにした。どうも、全国を旅して、お祈りをして回っている方で、山崎陽一とは、半年に一度ほど会うという。山崎陽一にとって法源さんは、仏教上の師匠だという。かれこれ一〇年前からの関係らしい。

 この法源さんは、東京で大きな材木商社を経営し、東京都の区議会議員もしたことがあるらしい。六〇才を境に、出家して祈りの旅を続けているという。令和元年で、八六才だという。

 

    2 予言された末人(まつじん)

 山崎陽一は、選挙の結果や、それまでの感じたことを、法源さんに伝えた。特に、山崎陽一が対峙したという「大衆」をクローズアップして話した。

「陽一さん、あなたが体験した大衆とは、最後の人間末人ではないか?」

「末人?」

「一九世紀のドイツの哲学者ニーチェがいう末人だよ。人類最後の人」

「ああ、ニーチェが書いた有名な哲学書『ツァラトゥストラはこう語った』の中の末人ですか?」と、育也君が自慢げに口を挟んだ。そして続けた。

「さすが学生さんだね。お若い人、末人を説明してくれかるい?」と、法源さんが育也くんに振った。

「確か、安楽のみを求める中流階級の市民でしたっけ。末人は豊かでもなければ、貧しくもない。そのどちらも煩わしいと思う人々で、何の目的もなく人生をさまよう人々。長いものに巻かれ、強いものにはノーと言えない人々。ニーチェは神が死んだあと、末人がノミのようにはびこると、言っていましたよね」

「そんなところかな」と、法源さんは頷いた。

「その何がいけないというのですか? 今の日本人、そのものじゃないですか? 神が死んだとか、訳が分からないし」と、私は反論した。

「何がいけないかって、それはニーチェ以上に、私たちの方が分かっているよ。実際に、末人の世は日本でも経験済みだ。第二次大戦前にね。世界恐慌の後に人々は絶望し、怯えた。思考を失った。そこに軍事クーデターが起こり、政府を軍人が支配した。それから少しでも考える人間は、敵視され、投獄された。日本人は、真っ当なものより、強いもの、主流のものに味方した。安楽を求めれば、そうなる。人々は軍隊の前にひれ伏し、戦争に反対するものを非国民と呼んで弾圧した。天皇以外を信じるものを投獄した。

 私は子供の時、末人の世を経験したよ。日本軍が南京を陥落した時、町々に自然発生的に提灯行列ができた。人々は戦争を歓迎していたよ。人間同士の大量殺戮(さつりく)を祝っていたよ。

それで何が起きたか? 人類史上最悪なことが起きたではないか。今の世は、第二次大戦前とよく似ているよ。警戒しなくてはならない。私が子供の時に見た人々の目と、今の人々の目はよく似ている」

 

   3 AIファシズムと戦争の足音

「今が、もし第二の末人の世とするなら? 何が起こっているのでしょうか?」

「まず、神が死んでいる。それは、すなわち、宗教的な規範や倫理、道徳に人々が従わなくなる状態だよ。その意味では、神は欧米も日本も神は死んでいる。お金が神になっている。

 お金が神になった時、人は損得を基準に思考し、行動する。損になる人間関係を切り、ビジネス上の人間関係を維持する。それで、人とのつながりは絶たれ、結婚して子供を産むものは少なくなる。

 今また新たな神が出現しようとしている。お金という神は、人類を幸せにはできないことが分かった。次の神は、AIかもしれない。

 中国ではすでに始まっている。人口一三億人に対して、高精度な顔認証機能がついた監視カメラが六億台設置されている。これがAIと連動して、一人ひとりの行動を記録し、点数をつけている。それから国民をランクづけしている。ランクが低い国民は、自由が制限されたり、ローンが組めなかったり、その子供が高い教育を受けられないようになるらしい」

「SFみたいで、怖いですね。それと独裁と関係があるのですか?」

「国民は、国が提示した一つの物差しを基準にして、思考・行動するようになる。そのうち、AIは国民一人ひとりに、点数が上がる行動プランを提案するようになるだろうね。そうして、最終的にAIをたたえるようになるよ。中国には、その土壌があるから、そういう社会に向かう。

 日本では、この土壌は地方から先につくられていくよ。この流れに抵抗しようとしたのが、陽一さんではなかったか?」

「私は、そんなに大げさなことをしたつもりはないけれど」と、山崎陽一は照れ臭そうに言って続けた。

「ただ、私は、選挙の結果が出た瞬間、世界の大きな力を感じた。激流の中に流された自分を感じた。それは確かです。法源さんから見て、これは猫山市だけの問題ではないということですね」

「さよう。私は全国をこうして、歩いて旅をしている。猫山市はましな方で、もっとひどい街はある。しかし、今後、日本全国を覆いつくすようになる」

「けど、AIファシズムが戦争を起こすとは限らないけど」と、私は言った。

「ドイツの国政選挙でナチスが選挙で、第一党に躍り出た時、ドイツの国民は、ナチスを信用していた。まさか、人類の大惨事を起こすとは思わなかった。人々が主体性を放棄して、他人任せにした時、その代償は大きいよ。

 歴史を見ると、戦争は綿密な計画や熟考によって起こらないことが多い。むしろ、人の意図とは裏腹に突発的に起こってしまう。まだ、悲しみ、痛みを知っている人間の方が、戦争を抑止できる。次は戦争以上のことが起こるかもしれん」

   4 ユートピアの結末

「戦争以上のものとは?」と、私は法源さんに尋ねた。

「独裁者による同国民の虐殺だよ。その死者の数は、戦争の比ではない。毛沢東は五〇〇〇万人、スターリンは二〇〇〇万人、ヒットラーは一〇〇〇万人。第二次大戦の日本人の死者数は三〇〇万人だから、桁が違う。

 社会が多様性を失い一つの物差しで国民を測るようになった時、その物差しでランクが低いとみなされた者は、殺されてしまう。毛沢東たちは、自分が悪者だと思っていなかった。人類にユートピアをつくりあげる救世主だと思っていた。彼らにとって正しきものだけを残し、悪しきものを消せば、ユートピアができると信じてね。

 それこそが最悪の地獄だと思うがね。救世主の出現は危険だ。救世主の出現を生むのは、救世主の出現を求める私たちの意識だよ。依存の心だよ」

 沈黙が起こった。

「私たちに、どんな選択肢があるでしょうか?」と、私は尋ねた。

「一つは流れに抵抗するか? 二つ目は流れに身を任せるか? 三つ目は社会から隔絶しても生きている方法を探すか? ほかに道はあるかな?」

「この三つの道のほかの方法を探す道というのもありですかね」と、育也君は笑顔で言った。私の目に、育也君が頼もしく映った。

「さて、君たち、若い人たちは、どうする? ただ、言えることは、その選択は人任せにしてはいけない。自らの力でつかむことだ」

 

   5 それぞれの道

「私は、今回の選挙の件で、大衆への抵抗を試みて跳ね返されました。そして、私の力ではどうにもならないところに来ていることを実感しました。私としては、末人と化した大衆を相手にすることは、やめようと思います。目覚めた少数の人たちと道を探りたいと思います」

「学生さんは、今後、どうするのか?」

 私たち二人は、沈黙した。そして、法源さんは続けた。

「わしとしては、学生さんに、よい若者でいてほしい。わしが言うよい若者とは、ダークスーツを着て、保守的な大人たちの奴隷になることではない。それは、末人の道だ。

 よい若者とは、未熟な大人のことではない。社会に対して、自らの持つ違和感をぶつけ、世に何が大切かを問える者のことじゃ。それが、若者の最大の役目じゃ。ぶつかって敗れてもいい。むしろ敗れるべきじゃ。敗れて涙を流し、そこから自分の道を探せ。それが本物の道じゃ。

 親や世間の評価を基準に、道を探したものは、その後、痛ましい人生を送ることになる。恐れてはいけない。ここによいお手本がいるよ」

 そう言って、法源さんは、山崎陽一を見た。

「私は、未だに、社会の度外れ者です。

ただ、私は自分の心の声に従ってやるのみです。

過去に後悔はなく、心の底にいつも春風が吹いている気がします」

「わしと陽一さんとは、似ていますね。もう、外が暗くなってしまった。わしは、そろそろ去るとしますか」

 法源さんは間をおいて続けた。

「実は、そのわしも迷っている。わしは、敗戦の時、朝鮮半島にいた。その時、母親を失った。目の前で、ソ連の兵士に殺された。その心の痛みが、まだ消えない。消えないどころか、一層、痛む。わしもこうして、祈っているだけで本当によいのかと、悩む。今日、あなた方に出会い、何か見つけられた気がしている。

私たちは、大地から離れてしまった。そこから争いと悩みが始まった。

 私がやっている祈りの旅も、所詮、大地から遊離したものかもしれない」

 そう言って、法源さんは、念仏を唱えながら、夕闇の街に消えていった。

 法源さんの鳴らす鐘の音は、長い時間、闇の中に響き、やがて遠ざかって消えた。

 その時、育也君が独り言のように言った。

「『罪と罰』の主人公は、深い罪を感じた時、大地にひれ伏した。それしか方法がなかった」

 

  6 旅立ちの手紙

 山崎陽一と法源さんに会ってから三ケ月が経った。そして、私は山崎陽一から、こんな手紙が届いた。

 

 お元気ですか? 研究発表と卒業論文の方はいかがですか?

 さて、私も大学生のお二人に会い、話を聞いて頂き、私自身を見つめるきっかけを頂いたこと、心より感謝します。

挑戦した政治の世界ですが、たいていの場合、何か疑問にぶつかり、主義や主張からスタートするものです。それは、自らの正しさの主張でもあります。

そんな時、人は自分と他者が別物だという錯覚に陥ってしまいます。

それは、骨のある政治家たちの不幸と言えます。

選挙に敗れ、自分の正しさを手放した今となっては、自分と他者は再び一つに思えてきました。要するに、世界は自らの姿を映す鏡になりました。

すると、私が腹立たしく見た他者は、全て自分自身の姿だと思えます。

過去の成功体験にしがみつき、変革の力を失った猫山市。

異質な者を受けいれる度量を失い、衰退へ転がっていく猫山市。

選挙の時だけ、市民のためと訴え、議員になると行政サイドに立ち、本来の仕事をしようとしない議員たち。

最初に志があっても、他の腐敗した同僚に同化していく議員たち。

自分の快不快にのみ興味を持ち、より強いものに流され、末人化した大衆。

社会全体のことや政治に無関心な市民。

議会にも期待しないし、むしろ議会は無力の方がいいと思っている猫山市民。

政治家や選挙の汚さを知り、受け入れ、むしろそれを歓迎する猫山市民。

能力のある一人の者に、全てを任せて、自ら考え、実行することを放棄している猫山市民。

檻の中で、大衆というライオンと一緒に暮らす市長。

災禍が迫っているのに、気づかない、気づこうとしない日本に住む人たち。

………

これら私の脳裏に映ったものすべては、自らの姿に過ぎなかったのです。私は自分に腹を立てて、苦しんでいたのです。本当に変えたかったのは、自分なのです。今、私は自他を許すことができました。そして、今、再び、心に平和が戻ってきました。

それに気づかせてくれたのは、彩世さんと育也君です。

今後、私は、こんな形で一人ひとりの中に平和を出現させる道を歩みたいです。

彩世さんと育也君のワクワク人生を祈って!

                   令和元年 六月一九日 山崎陽一

 

 山崎陽一から手紙をもらい、無礼とは思いながら、ひと夏が過ぎた。そして、返事を出した。私と育也君の計画に目途がついたから。

 

 お元気ですか? まずは、返事が遅くなりお詫び申し上げます。その節は大変お世話になりました。

 さて、「猫山市議選リポート」は、ゼミで発表し、好評を得ました。担当教授にも最高評価を頂き、どうやら、無事、卒業できそうです。

 しかし、私は、決まっていた銀行への就職を辞退しました。

 親から猛反対を受けましたが、その壁を超えました。親が、私を保護してくれるための壁は、私を閉じ込める壁でもあることに気づきました。山崎さんが、そうしたように、私もその壁を越えました。

 私は、起業家になることに決めました。

 人の才能を引き出し、輝かすプロデューサーを手始めにやります。

 というか、すでに始めています。

 ところで、育也君も決まっていた就職を辞退したようです。

 彼なりに考えて、突飛な計画を本気で実行に移そうとしています。

 なんと、リアカーを引いて世界ゴミ拾いの旅に出ると、言いだしました。

 どうも私の最初の仕事は、この計画のスポンサー探しと、育也君のごみ拾い冒険家としてのプロデューサーになりそうです。

 今、私は、育也君の情報発信サイトを作成しています。さらに企画書を企業に送って、広告営業をしています。なかなか、いい手ごたえです。テレビ局や雑誌社にも特集を組むよう営業をかけ、ものになりそうです。

 そんな感じで、私たち二人は歩み出しました。

 私たちは、私たちのやり方で、この世に体当たりしてみます。

「敗れてもいい。むしろ敗れるべきだ」という法源さんの言葉を胸に。

                    令和元年九月二三日 菊原彩世

 

最後に、菊原彩世から、あなたに伝えたい。

私は山崎陽一やその奥さん、法源さん、そして育也君の変化に接し、私は、私の本当の宝を見つけた。

 それは、私の内側から湧き上がる言葉にならないもの。

 私の外からくる道徳や世間の声、親の声ではなく、ましてや損得勘定でもない。

 人それぞれに、本当の宝は違うと思う。

 ただ、あなたの本当の宝は、あなたの最大の怖れの先にある。

 それがない宝は偽物だ。

 人生で、本当の宝に出会うか?

 それとも偽物をつかんで自らを欺くか?

 そもそも自らの中の宝の存在を無視するか?

 選ぶのは、あなたです。                     <>

 

おわりに

 当初、この小説の主題は、明確ではありませんでした。書きながら、いくつも浮かび、迷子になりながら、最終テーマにたどり着きました。

 テーマに迷いがあっただけに、複数の小テーマが、たくさん散りばめてもあります。

 そのため、読者の方が時を経て、読む度に異なるテーマにひきつけられると思います。再読をお勧めします。

 また、世界平和と、読者の心の平和のために、この本を、お友達に紹介して頂けると、作者としてはうれしいです。

 また、この本の編集をボランティアで手伝って頂いた住吉克明先生にも、心より感謝します。

さらに、本の執筆中、アドバイスをくれ、テーマを考えてくれた妻・純子に心より感謝を込めて。

 最後に読者のあなたに感謝を込めて、執筆を閉じたいと思います。

                     令和元年六月一九日 関 政幸  

 

著者プロフィール

関 政幸 一九七〇年、長野県諏訪市生まれ。駒沢大学・法学部卒業後、新聞記者、書籍編集者など職を転々とする。同市にて一九九九年、保険代理店として独立。それと並行して、自動車販売・リース事業・自社不動産賃貸事業・婚活支援事業などを立ち上げる。現在、ジャスト(株)、ジャストシェア(株)の代表取締役。

 

関 政幸の本

『ビジネス手法を用いた奇跡の婚活術』(熱風出版)八〇〇円

『夫婦円満の法則』(同)一〇〇〇円

『誰でも起業ラボ物語@ 飛べ!ワイルド・スワン』(同)七〇〇円

『ゼロから始める独立・開業術』(彩図社)五〇〇円

『転職王』() 他 五〇〇円

                       お問い合わせ 0266(54)1684 

 

 

 

 

書名  小説 あなたの本当の宝とは?

〜猫山市議選が突き付ける現実〜   

          著者  関 政幸 

          発行日 二〇一九年七月七日 第一版発行

          発行所 熱風出版 

          〒三九二-〇〇二二 長野県諏訪市高島1--

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